About me

葉上に積もる蛍雪は

my story

僕は俗にいう「ルーティンワーク」が好きではない。

もちろん「ルーティンワーク」が大事な仕事の一つだということは認知している。

しかし毎日同じ時間に起きて、会社に行き、いつもと同じノルマをこなす。

夕方には会社を出て、仲間と軽く一杯、家に帰り就寝する。

それが毎日続く。

 

 

そんなのは嫌だ。

これは僕が「ホテルマン」という職業に就いた理由の一つである。

 

 

ホテルというのは同じ毎日が二つとして来ない。

毎日違ったゲストとやり取りをする。

実に楽しい。

 

 

 

しかしそれは同時に、仕事というのがどれだけ苦難に満ち溢れているか、を意味する。

これは遠い記憶。

僕にとって初めての「苦難」の物語。

 

 

 

「電話なってるよー、早く出なさい」

僕は当時あるホテルの客室管理部として、業務に励んでいた。

「はい、こちら客室係でございます」

電話に出ると、女性数人のけたたましい悲鳴と怒鳴り声が入り混じっていた。

「早く来てください!!、今部屋で、でたんです!!」

「落ち着いてください、何がでたんですか?」

「部屋に、部屋に虫がっ、窓を開けていたら部屋の中に入ったみたいで…、とにかく早く!!」

「かしこまりました、今伺います!!」

電話を切る。

 

 

そもそもこのホテルは山の中腹に位置している。

都会の喧騒を離れたリゾートホテルなのだ。

部屋には「窓」がついており、当然のごとく実にさまざまな「お客様」が部屋に迷い込むこと。

僕の先輩は、部屋に行ったらハトが巣を作っていたり、猫が迷い込んでいたりすることがあったらしいが、当時頼りになる先輩は休みだった。

 

 

「ついに来たか。」

ちらっ。
他の社員と目が合う。

救援のまなざしを送ったが、案の定無視された。

 

「行くしかないか」

 

 

ここまで喋ってなんとなくわかるであろうが、僕は虫が嫌いだ。

カブトムシやクワガタならまだしも、セミやムカデ、中でも一番ニガテなのが「G」である。

 

 

奴が嫌いになったのには理由がある。

当時僕がまだ幼稚園の年長組のとき、友達のマンション、玄関に奴がいたのだ。

 

奴は頭が良いと聞いたことがある。

相手が恐がっているのを察知すると自ら向かって来るという。

また奴は自分の「死」に直面したときIQが200にも跳ね上がり「飛ぶ」ことを覚えるというのだ。
(これが本当かどうかは知らないが。)

 

 

そんなことを当時の僕が知るはずもない。

地球上に奴がいるということは昆虫図鑑で知っていたし、さすがに人間には勝てないだろうと高を括っていたのだ。

 

 

僕は奴との間合いを確かめながらエレベーターのほうに向かう。

奴に背を見せる。

奴に僕の「恐れ」が露見した瞬間であった。

 

奴は僕が恐れていたことを知り、また「死」に直面したと感じたのであろう。

あろうことか僕に向かって飛んできたのである。

 

しかしそのとき、まだ僕は冷静さを保っていたのだろう。

華麗にかわし、「エレベーター」から「階段」へと即座に逃げ道を変えた。

階段を駆け上がり、友達の家に着いた、そこで初めて「安心」と同時に「恐怖」を感じたのである。

 

 

「人間は奴には勝てない」

某火星地球化漫画を思い出す。
それ以来、奴には近づかないことにしていた。

 

 

 

それほど避けてきた道をこれから進まなければならない。

僕にとってかなり勇気のいる仕事だ。

他の社員は状況を察したのか笑いだしている。

もちろんお客様がゼッタイであることは重々承知している。

それでも足が竦むのだ。

「早く行っちゃったほうか楽になるよ」

散々駄々をこねた挙句、僕は部屋へ向かった。

 

 

 

「どうされましたか?」

「やっと来てくれた、今テレビの裏に逃げちゃったの!!、早くなんとかして」

 

 

僕は地球上、火星上で一番嫌いな奴を倒すためさまざまなシミレーションを重ねてきた。

 

 

見つけたら、そのままにらみあうこと。

これがさまざまなシミレーションを重ねた僕の理想的対処法である。

 

 

奴の恐いところは幼少期でも体験したように「攻撃性」を持っているところにある。

そのため目を離さず、急に「攻撃」してきたときに対応できる体制をとるのだ。

しかし「にらみあう」行為にはもう一つ大切な意味がある。

 

 

それは奴が隠れる隙をなくすということだ。

奴が隠れる。

どこから攻撃されるかわからない。

これは奴との戦闘で一番やってはいけないことだ。

「恐怖」が十倍にも百倍にも膨れ上がる。

 

 

しかし今僕が部屋へ行くのが少し遅れた間に「最悪」の状況が完成してしまっているではないか。

 

 

「ねぇ、早くしてよ」

完全にご立腹だ。

状況を何とか飲み込み、テレビの裏をのぞき込む。

奴の姿はない。

 

 

いないようですが…

心の中でそう言った。

言葉にしてしまえば、この女性たちに殺されてしまうかもしれない。

 

 

「仕方ない、あれを使うしかないか」

 

 

文明の域は本当に素晴らしい。

奴を数秒で死に至らしめる道具が開発されているのだから。

 

 

「お客様、殺虫剤を使ってもよろしいですか?」

「なんでもいいから早くして」

「かしこまりました」

 

 

お客様の私物にかかってはいけないと思いながら、殺虫剤を取り出す。

「これで弱ったところをたたく」

 

 

 

そう思った矢先である。

奴は僕の「恐怖」と自らが「死」に直面しているということを悟ったのであろう。

奴はテレビの裏から、あの鈍い羽音をかき鳴らし僕に向かって飛んできた。

 

 

「ギャー!!」

女性の悲鳴が聞こえる。

 

 

 

僕はというと、奴が飛んだ瞬間に「あのとき」の冷静さを失った。

 

幼少期の僕は奴の恐怖を知らないまま対峙した。

あのときとは状況が違う。

 

 

「恐怖」を知ってしまった僕に奴を倒すことなんてそもそも無理なんだ。

僕は思った。

 

 

奴はそんな僕に勝機を見出したのか、止めを刺しにかかった。

あろうことか僕の顔で羽を休めたのである。

 

 

 

 

 

「うそっ、だろっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

バタッ…

 

 

 

 

 

 

 

 

そのとき僕は目の前が真っ白になった。